マリー・アントワネット
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マリー・アントワネット最期の日

マリー・アントワネットは、死刑の判決を受けて独房に戻ったときに、義妹エリザベートに手紙を書いています。

『妹よ、あなたに最後の手紙を書かなければいけません。私は判決を受けたところです。しかし恥ずべき死刑の判決ではありません(死刑は犯罪者にとってのみ、恥ずべきものなのですから)。あなたの兄上に会いに行くようにとの判決をくだされたのです。』
長い告別の手紙を義妹エリザベートが目にすることはありませんでした。牢獄管理人から数人の手を経て、最後に手にしたのはルイ18世で(ルイ16世の弟)、後に王政復古後の時代になってからなのです。

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最期の食事

足掛け3日間続いた裁判が終わり、コンシェルジュリーに戻ったのは10月16日未明でした。刑場に出発する時間まで、7時間あまりしか残されていませんでした。義妹エリザベートに手紙を書き終えると、1人跪いて長い間神に祈りを捧げ、衣裳を着たままベッドに横たわりました。

夜明け頃、部屋係のロザリが独房に行き、朝食をどうするのか尋ねると、アントワネットは涙を流しながら、自分は何も必要としない、全てが終わったと告げました。それでも『マダム、かまどにブイヨン・スープとパセリをとっておきました。あなたは持ちこたえる必要があります。何か持ってこさせてください。』と言うと、『ロザリ、私にブイヨン・スープを持ってきて』と、更にたくさんの涙を流していいました。

このブイヨン・スープがマリー・アントワネット最期の食事となりました。午前8時、それまで身にまとっていた喪服を脱ぎ、白い普段着に着替え、下は黒のスカートをはき、黒いリボンのついた小さめの帽子をかぶりました。

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馬車で革命広場へ

午前10時頃、刑場へ行く準備をするために、独房に判事と死刑執行人のサンソンがやってきました。サンソンに手を出すように言われたマリー・アントワネットは、うろたえました。『私の手を縛るのですか? ルイ16世の手は縛らなかったのに』と抗議しました。判事に促されてサンソンはアントワネットを後ろ手に縛ります。そして、断頭台の刃が妨げられないよう、髪の毛も乱暴に短く切られました。

午前11時15分。後ろ手に縛られたままのマリー・アントワネットは、夫ルイ16世が刑場に向うときは立派な馬車で向ったのに対し、彼女が乗せられた馬車は普通の罪人にも使われる荷馬車でした。刑場までの道には、アントワネットの救出を警戒し、3万人の憲兵が動員され、多くの見物人も詰め掛けていました。

馬車はゆっくりと進み、セーヌ川を渡り、断頭台のある革命広場(旧ルイ15世広場・現コンコルド広場)に到着しました。その間、背筋を伸ばして真っ直ぐ前を見据え、付き添いの僧侶とも口をきかずに群集を黙って見ていました。充血した目に青白い顔の頬はほんのりと赤く、乱暴に切られた白髪が帽子から出ていました。

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そして永遠の眠りへ

処刑されるアントワネット

革命広場に到着したマリー・アントワネット。テュイルリ庭園の方をチラっと見ると、誰の手も借りずに荷馬車から降りました。毅然とした態度で処刑台の階段を登り、頭を振って自分で帽子を頭から落としました。取り乱して見苦しいところを見せることなく、執行人に身をゆだねました。

運命のとき

準備をするのに4分かかり、12時15分。マリー・アントワネットの首に、刃が落とされました。執行人が、マリー・アントワネットの血のしたたる首を掲げると、『共和国万歳!自由万歳!』という歓声が、見物人から地響きのように繰り返しあがりました。マリー・アントワネットの最期の言葉は、『さようなら、子供達。あなた方のお父さんのところに行きます。』でした。

それを聞いていた、刑の執行人のサンソンは、皮肉なことに王党派であり、後に、見つかると重罪になる、ルイ16世とマリー・アントワネットのためにミサを行いました。刑が執行されたあと、マドレーヌ墓地に運ばれたアントワネットは、埋葬命令が出ないため、半月近くもの間、膝の間に頭を置かれた状態で、墓地の隅の草むらに放置されたままだったのです。

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