マリー・アントワネット
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マリー・アントワネットに対する中傷

ヴェルサイユ宮殿で、自由気ままに過ごす王妃に、人々が反発しないわけがありませんでした。浪費癖があり、人工的に田舎を作ったり、宝石やドレスを買いあさっているために財政が破綻したとして、『赤字婦人』と呼ばれるようになります。しかし、国家予算の中の宮廷の出費の割合を考えると、国が傾くほどの浪費をしていたわけではありません。

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自由気ままな生活

マリー・アントワネットマリー・アントワネットはパリの街がお気に入りでした。お忍びで仮面舞踏会に出かけては、自分の素性が分からないのをいいことに、誰彼かまわずお喋りしたり、踊ったりしていました。軽率な行動ばかりをとり、母マリア・テレジアにも手紙でたしなめられましたが、アントワネットの行動にストップはかかりませんでした。

オーストリアの自由で家庭的な宮廷で育ったアントワネットにとって、しきたりや決まりごとだらけのヴェルサイユ宮殿での暮らしが、退屈で息が詰まりそうなものと感じ、その反動だったかもしれません。

宝石商からあまり考えもせずに装飾品を買ったり、王妃であるにもかかわらず、奇抜なドレスばかりを作らせて身にまとったりしていました。

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プチ・トリアノン

プチ・トリアノン

ヴェルサイユ宮殿から1キロほど離れたところに、アントワネットが作らせた離宮は、唯一のんびり過ごすことができた場所でした。ここでの権限は国王ではなく、王妃であるマリー・アントワネットにあり、ルイ16世ですら、客人として扱われる場所だったのです。

プチ・トリアノンの工事が行われているとき、アントワネットはたびたび総務監督と揉め事を起こしています。人々は、王妃の莫大な出費に対して、あからさまに不満を口にしていました。ヴェルサイユ宮殿とその庭園は、全て民衆に解放されている場所でしたが、ここプチ・トリアノンはマリー・アントワネットの特別な許可がなければ足を踏み入れることのできない空間でした。

それゆえ、人々の好奇心を大きくし、悪い噂を生む場所ともなっていきます。この離宮では、誰もが気ままに過ごし、アントワネットが居間に入ってきても、誰も会話を止めず、刺繍の手も休めず、楽器の演奏を中止することもなく、アントワネットも皆の中に加わって会話に花を咲かせる。そんな空間だったのです。

フェルセン伯爵

この頃、スェーデン貴族のフェルセン伯爵に夢中になったアントワネットは、この離宮で2人きりの時間を過ごすこともできました。

人工の田舎

マリー・アントワネットは、自由気ままに過ごせるプチ・トリアノンでも、自分の理想とする空間には物足りないものを感じていました。そこで離宮の庭園に大きな池を掘り、池のほとりには塔や納屋、はと小屋やニワトリ小屋、風車小屋などを作り、更には番人小屋や小さなわらぶき屋根の家まで建てました。こうして、人工的に田舎を作った『村落(アモー)』が作られたのです。

村落の周りには田園が広がり、住み込みで働く農夫婦、庭師、牛飼いなどもいて、ヤギや羊、うさぎや牛、ニワトリ、はとなども連れてこられました。本物そっくりに作られたこの田舎を、のんびり散歩するのがアントワネットは好きでした。農夫が牛の乳を搾ったり、それでチーズを作ったりするのを見て満足していました。こうして好き放題に国費を使っていたのです。

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民衆の反発

貴族の間で、自分達の地位と名誉のため、着飾ったり生活水準を保つために借金をするのは当たり前のことで、全く恥ずべきことではありませんでした。しかし、それも度を越すと、周囲から反発が出るのは当然です。まして国費となると、尚更のことだったかもしれません。

普通国王には公認の愛妾がいるものでした。宮廷で王妃と同じように振舞うことができ、強い権力も持っていました。そして愛めかけは身持ちが悪く、国のお金を浪費し、国王に対しても、よくない助言をするとして、人々の憎しみを集める役割もしていました。そうすることで、人々の目線は王妃から離れ、中傷は愛妾に集まるのが普通でした。ルイ16世の場合、愛妾がいなかったので、人々の中傷は、マリー・アントワネット1人に集中することとなったのです。

宮廷から民衆へ

エギュイヨン公爵

最初は宮廷内だけのアントワネットへの中傷でしたが、やがて貴族に雇われた人々がアントワネットの中傷をビラにして配るようになり、軽薄で浪費家な女として民衆の反感を買うようになります。

最も重大なこととして、アントワネットは故郷オーストリアのスパイであるとして、フランスに対する陰謀を企てていると避難されました。宮廷内で権力を持っていたエギュイヨン公爵と激しく争い、宮廷から追い出してしまいます。彼がオーストリアとの同盟に好意的ではなく、デュ・バリー夫人派だという理由で追い出したのです。これによって、エギュイヨン公爵と関係のある貴族からの支持も失うことになります。

母マリア・テレジアと兄、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世の支持を公然としており、母と兄の要望をルイ16世が飲まないことで、大臣に直談判したり、オーストリア大使と密談するなどし、こうした行動がフランス王妃としての信用を失墜させていきました。

民衆の前にマリー・アントワネットが姿を現しても、誰も歓喜に沸かなくなり、王妃を中傷する文書の内容も過激になっていきますが、アントワネットは全く気にもせず、相変わらず気ままな生活を送っていたのです。やがて、王妃マリー・アントワネットのイメージを傷つける決定的な出来事、『首飾り事件』が起きるのです。

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