マリー・アントワネット
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エリザベート

エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス。フランス王太子ルイ・フェルナンデンと王太子妃マリー・=ジョゼフ・ド・サクスの末娘として1764年5月3日に誕生しました。最後までマリー・アントワネットのことを想い、見捨てないでそばにいた、心優しい王女です。マリー・アントワネットが最後にしたためた手紙が、子供達でもフェルセンでもなく、エリザベートだったことを見ても、どれだけ心の支えになり、信頼されていたかが分かります。フランス革命が起こる前から大の仲良しで、心が通じ合っていたと言えます。

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ルイ16世の妹

エリザベートエリザベートは、兄にルイ16世、のちのルイ18世になるプロヴァンス伯爵、後のシャルル10世になるアルトワ伯爵、姉にサルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世の妃になったマリー・クロティルドがいます。

肉親への愛情がとても深く、5歳年上の姉、マリー・クロティルドがお嫁に行ったときには、姉との別れを悲しみすぎて、病気になってしまったほどです。

マリー・アントワネットがヴェルサイユに嫁いできたとき、まだ15歳になっていませんでしたが、まだ6歳のエリザベートにとっては、マリー・アントワネットは頼もしいお姉さんであり、クロティルドがいなくなって悲しんでいるエリザベートを慰めていたのはアントワネットでした。エリザベートは年の離れた兄夫婦が大好きで、親のようにも思い、食事もいつも一緒にとっていました。

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心優しい王女

エリザベートはとても心優しい王女で、信仰心が篤く、幼くして両親に先立たれたエリザベートを育ててくれた、マッカウ婦人のお陰でこのような慈愛溢れる性格に育ったのだと言われています。ヴェルサイユ宮殿の中でアントワネットと歩いている姿は、豪華な衣裳に身を包んでいるアントワネットと質素な身なりだけれども、天使のような善良さがにじみ出ているエリザベートを『地上最高のプリンセス(アントワネット)と天上のプリンセス』と言われたほどです。

エリザベートの人柄

エリザベートの性格は、王女とは思えないほど堅実で、毎日のお祈りも、修道女以上に熱心に行っていたほど信仰心のあった人でした。温かい人柄で、自分の領地で獲れた野菜や牛乳は、村人達に配っていました。『牛乳は子供達のもの。配り終えるまではとても自分が飲む気にはなれません』などと言うような人柄でした。誰もが天使のような王女だと証言しているものが数多く残されています。外見はおとなしそうなのですが、乗馬や狩猟が好きで、芯が強くてしっかりものの王女でした。

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独身の道を選ぶ

エリザベートが年頃になると、たくさんの縁談が舞い込んできました。見てくれも性格も良いのですからそれはもう大変なものだったらしいです。昔は、王家に嫁ぐと、一生実家には戻れないというのが当たり前でした。

マリー・アントワネットも14歳でフランスに嫁いでからは、一度もオーストリアに戻っていません。エリザベートも王女ですから、お嫁に行くのはどこかの国の王太子です。ゆくゆくはその国に君臨しなければならない立場の人になります。そうして自分がフランス人でなくなることをエリザベートは嫌だと思ったのです。どこかの国の玉座に上るよりも、兄の玉座の足元にいた方がいいと、生涯独身でいることを選んだのです。

このとき、どこかに嫁いでいれば、革命が起こっても亡命して命を落とすことはなかったのですが、誰も先に起こることなど分かりません。兄夫婦のことが大好きだったエリザベートは、いつもアントワネットのそばにいて、子供達の世話もよくしました。国王一家と一緒にタンプル塔に幽閉されていからも、子供達の勉強をみてやったり、洗濯をしたりと世話を焼いていました。

頭がよく、幽閉された時点で、その先の運命がどうなるかなど、エリザベートなら分かっていたはずです。そして、エリザベートなら、国王一家と行動を別にして逃げ出すことも可能だったのです。けれどもエリザベートは、運命を共にする方を選んだのです。

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エリザベートに救われた命

マリー・アントワネットはコンシェルジュリーに移されてから、裁判にかけられ、刑が執行されたことを、エリザベートも知らされていませんでした。アントワネットが最後にしたためた、長い長い手紙も、エリザベートの手に渡ることはありませんでした。

1794年5月9日、エリザベートはコンシェルジュリーに移されます。宮廷政治に関わりがなく、有罪にしたくても口実すら見つからないエリザベートを有罪にしたてあげなくてはいけません。結果、エリザベートは国王の脱走を助けた罪、王族、貴族の亡命に資金援助した罪で告発されました。

裁判官が言いがかりのような尋問をしても、しっかりと前を向き、理路整然と答えていました。何を言っても利に叶ったことを答えるので、結局は、国王の妹に生まれたことが罪なのだとしか言いようのないものでした。翌日、エリザベートは死刑判決を受けます。

助けられた妊婦

一緒に同じ判決を受けた20人以上の人々を励まし、一切動揺することはありませんでした。その中に、妊婦がいるのを見つけたエリザベートは、妊娠していることを申告するように言います。妊娠していると、出産までの間、刑が執行されることはありません。自分の刑が言い渡されたあとなのに、周囲に気を配るほど、気持ちが落ち着いていました。

エリザベートらは即日刑が執行されましたが、この妊婦は、出産前にクーデターが起こったために、刑が執行されることはなく、エリザベートに命を救われたことになったのです。クーデターのあとは、エリザベートらを裁いた裁判官らが逆に裁かれました。

革命裁判の前に、判決文と死亡証明書が用意されていて、エリザベートらの裁判は、見せ掛けだけのものということが分かりました。エリザベートに命を救われた女性も、自分の死亡診断書を手にして裁判でそれを証明しています。

エリザベート最期の言葉

エリザベートと運命を共にする人々は、彼女に向って腰をかがめてお辞儀をし、手にキスをしました。エリザベートも彼らを神の御許に行くことを祝福しました。エリザベートは断頭台に縛られるとき、ショールを剥ぎ取られて肩があらわになりました。死刑執行人に『礼儀を守りなさい。ムッシュ。ショールをかけなさい』と叫んだ瞬間、断頭台の刃がエリザベートの首を通り過ぎたのです。

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